漫画全刊ドットコム

 「漫画本を1冊ずつ買うのは面倒くさい! 全巻まとめて家に届けて欲しい」そんな願いを叶える通販サイト、「漫画全巻ドットコム」。2006年夏にサービスを開始してから、多くの漫画好きに支えられ、年商10億円の会社に成長した。

 運営する株式会社TORICO代表の安藤拓郎さんは、1973年、宮城県仙台市で生まれた。大学時代の就職活動では、JR、東北電力、日本たばこなど、かつて国有企業だった会社ばかりを回った。「安定のある公務員的な生活が送りたく、起業なんてまったく考えていませんでした。しかしそのような大企業の入社試験で落とされ、外資系企業に入ったことが運命の分かれ道でしたね(笑)」

 大学卒業後、日本オラクルに入社し、国内営業を担当した。「仕事は勉強になったのですが、『目指したものと何か違うな』と感じて、早期退職プログラムを使って退職しました」。その後1年間ニューヨークへ遊学し、帰国後は「海外と直結できる、海外営業がしたい」と三井物産に転職した。中国、香港、台湾へ携帯電話のバックライトに使うLEDを売り込む営業担当となり、工場を1軒ずつ訪ねて歩く日々が始まった。

 そんななか、中国でスニーカー工場との出会いがあった。「技術は確かな工場で、どれくらいで生産できるのかを聞いたら『30万円くらいで、100足から作れる』と。スニーカーを作って、日本で販売したら面白そうだと思いました」。そして会社に勤務したまま、まずは趣味としてスニーカーを売ってみることにした。

ボーナスを元手にスニーカーを生産し、自分で作った通販サイトで、週末に営業を始めてみると、2ヵ月間で100足近くが売れた。1年間続けた後、「週末だけ営業して結構売れたので、『独立して専業でやればもっと売れるのではないか? 』と思いました」

 しかし、起業するほどの資金はなかったため、ベンチャーキャピタルに事業計画書を持ち込んだ。はじめて訪れたベンチャーキャピタルで、思わぬ高評価を得た。「お金を出すので、勤めている会社は辞めて独立して欲しい」とまで言われた。数百万円の資金調達に成功すると同時に、急に独立することが決まった。

 2005年7月、30歳の時、高校時代からの友人と一緒に、資本金1,000万円で株式会社TORICOを設立。社名は「外国語っぽい響きを持つ日本語」を探し、「日本のスニーカーを世界中で売り、世界をトリコにしたい」との思いからつけた。

 オフィスは、家賃3万5千円の古いアパートを借りた。それまでの安藤さんは、エリート街道をまっしぐらに走ってきた。「東京の一等地にあるオフィスで働いていたので、いきなり古いアパートの和室4畳半でスニーカーを売り始めた時のギャップは大きかったですね」

それからがたいへんだった。順調な滑り出しのはずが、思わぬ誤算があった。「調子に乗って会社を辞めた途端に、売れなくなって……。大人2人が働いたのに、ひと月に2〜3足しか売れず、1年間で50万円しか売れませんでした。後から気付いたのですが、最初の100足がすぐに売れたのはスニーカーの強烈なマニアが購入したからで、その層が買わなくなったらパタリと売れなったんです」

 しかし、安藤さんたちにそれほど危機感はなかった。1足売れたら嬉しくて飲みに行っていた。「まだ資本金の1,000万円があるから、数ヵ月間は何とかなるだろう」と焦りはなく、デジタルハリウッド大学院に通い、HTMLやフラッシュなどWeb制作の技術を勉強した。

 あまりに売れない日常に飽きて、別の商売を始めることにした。取扱う商品へのこだわりはなく、「スニーカーの代わりに売る商品はないかな?」と、共同経営者の友人とアイデアを出し合ったのは「ビジネスマンが休日に1日中、家に引きこもれるサービス」。もともと安藤さんは休日、家に引き篭もる生活が好きだった。

 「会社に勤めていた頃、土曜は外出するけど、日曜は朝から買い物に行って、漫画や雑誌、お酒とジュース、昼食の弁当、夕食のインスタント焼きそば、お菓子を買って、DVDを借りて帰宅、その後は1日中家にこもっていました。スニーカーを副業で売っていた頃も、土曜は営業して、日曜は同じように引きこもっていたので。『これらのセットを家に届けてくれるサービスがあればいいなあ』と。あまりにも暇だったので、カッコつけずに、身の丈にあった漫画でも売ってみようかという事になりました」

 世の中に溢れているコミック、そこは思わぬニッチ市場であり、安藤さんたちは、本を抱えて右へ左へと忙しい生活を送ることになる。その快進撃をお届けしよう。
漫画の通販サイトを始めることにしたものの、コミックの在庫を持てるような資金はない。そこで在庫を持つビジネスはあきらめ、「注文が入ったら、近所の古本屋に買いに行こう」と気軽に考えていた。最初は、50アイテムのコミックを取り揃え、すべての書名で検索連動広告を打った。

 まさかこれほど……というほど売れた。「まんが全巻ドットコム」と名付けた通販サイトをオープンした当日から注文が入り、最初の1ヵ月で50万円を売り上げた。「たった1ヵ月で、それまでのビジネスの1年分の売上を稼いでしまいました。スニーカー販売を辞めることにこだわりはなかったので、『もう漫画を売る会社にしよう』と、スパッと気持ちを切り替えました」

 近所では本が見つからなければ、バイクを2人で走らせ古本屋を何軒も回り、全国に電話をかけてかき集める日々。忙しく身体は疲労したけれど、売れることがとにかく楽しかった。「大企業で何億円と売っていた時より、漫画が1セット売れることの方がすごく嬉しかった。『自分たちが売ったんだ』という達成感がありました」

その後はひたすら注文に応える毎日、順調に右肩上がりで売上を伸ばした。漫画好きの人は、1シリーズ読み終わる頃、すぐに次の漫画を取り揃える傾向がある。「家に漫画全巻が一気に届く快感を味わってもらうと、また次の購入につながるみたいです。2〜3ヵ月に1回購入されるお客様は多いですね」

 次第に、テレビドラマ化された人気コミックを古本屋で調達することが難しくなった。そしてサイト開設から約1年後、発送する商品を、流通量の安定しない古本から一括で取り揃えやすい新品に切り替えた。新品に切り替えたことで、多くの在庫を持つことになった。

 売上急上昇のきっかけになったのは、ある芸能人だった。ある日、サーバが急にダウンし、丸1日Webサイトが開かない状態になった。原因を調べると、タレント・中川翔子さんのブログに同サイトが掲載され、アクセス数が急増していた。

 「中川翔子さんがうちのお客様だったらしく、ブログでうちのサイトを褒めてくれたのです。中川翔子さんが『漫画全巻ドットコム』と書かれていたので、その日のうちに名前を漢字に変えちゃいました」。安藤さんの持つ柔軟性が功を奏し、この日を転機に、売上は急上昇した。

売上が増えるとともに、在庫が激増して倉庫スペースが足りなくなり、発送業務が煩雑化した。

 まず、八王子の小学校廃校跡の図書館と教室2部屋を安価で借り、引っ越した。図書館を倉庫として使い、その本棚にマンガを並べた。図書館が3階だったため、毎日100箱くらい届くダンボール箱を、従業員7名で、エレベーターもクーラーもない階段で運んだ。皆が汗だくになり、ゲッソリ痩せていった。「図書館に約3万冊の在庫があったのですが、売上が増えて、廊下にダンボールが山積みになるほどでした」


 資金的な余裕ができた2007年10月、物流業務をアウトソーシングすることにした。従業員の力仕事だった在庫管理、発送業務を外注することで、新規開拓や制作作業に集中するなど、業務の効率化を図ることができた。

現在のアイテム数は、約2万5,000。「僕も世の中にこれほど漫画の数があるとは思わなかったですね」。顧客の平均は33歳で、一番多い顧客層は20〜30代のビジネスマンと主婦層だ。「開業当初は、9割が男性のお客様だと想像したのですが、実際は男性6:女性4くらい。漫画を買う女性の方が多いことにびっくりしました」。20〜30巻セットの購入が多く、客単価は12,600円くらいだ。

 漫画全巻ドットコムの売上は、1年目4,000万円、2年半後の2009年3月期に5億4,000万円、4年半後の2011年3月期には10億円となり、急成長中だ。従業員は正社員7名、アルバイト3名の合計10名。本社オフィスと提携倉庫にそれぞれ配置されている。

 安藤さんに「売上が増えたら、おしゃれなオフィスに引っ越そう」という感覚はない。今まで事務所と倉庫のキャパシティを広げるため、4〜5回引越しをしているが、オフィスは前述の古いアパート、小学校廃校跡の図書館と教室等、家賃のあまりかからない場所が多い。

 「現在もそうですけど、事務所の家賃にはお金がかかっていないですね。分相応“以下”のオフィスでしか営業したことないというか。社員にとってはもっとシャレた場所が良いかもしれないですが、僕自身、オフィスはどんな所でもいい。日本じゃなくても良いと思っているくらいです。だから弊社を訪問された方の多くはびっくりしていますね」

コミックを販売する通販サイトは、Amazon楽天ブックスなど大手通販サイトに限らず多く存在する。そのなかで、「漫画全巻ドットコム」が後発でありながら急成長できた理由は、「休日は家に引きこもって、漫画を一気読みしたい」というニッチなライフスタイル欲求に焦点を当てたから。既存の「本屋さん」とは違う切り口で事業を始めたからこそ、新しいニッチ市場を見つけることができた。


 サイト開設当時、たとえば漫画本シリーズ30冊を購入する場合、Amazon楽天ブックスなどの大手通販サイトでは一括購入できず、30回クリックして買い物カートに納める必要があった。また人気コミックの場合、書店に最新刊はあるけれど、全巻すべて揃っていない場合がある。同社サービスには「たった1回のクリックで、シリーズ30冊を一括で注文できる」点に優位性があった。

 安藤さんたちは、「コミック、DVD、雑誌、お菓子、ドリンクをセットで届けるサービスを始めよう」とライフスタイルの提案を考えたので、「大手通販サイトや普通の本屋もあるし、後発が勝てるわけないじゃん」とは思わず、躊躇なくサービスを開始できた。蓋を開けてみれば、「全巻揃えて、自宅に届けてくれる」サービスは既存の本屋はない、埋もれたニッチ市場だったわけだ。

ビジネスの仕組みを作っている最中のベンチャー企業には、とても地道で泥臭い仕事が多いことも事実だ。安藤さんは採用面接で、困難なことに耐えるガッツがあるかどうかを見ている。

 「僕たちはベンチャー企業なので、大企業でスマートな仕事をしてきた人より、泥臭い地道な作業でも楽しんでやれる人が合いますね。ベンチャー企業は『どこの馬の骨かも分からない』と無下に扱われることも多いし、気持ちが折れそうになる出来事は日々あります。今後も新しい取引先を探すことも増えていくでしょう。そんな環境の中で一緒にやっていく人材を考えると、“つらい場面で折れない気持ちの強さ”がある人がいいですね。できれば、既にそのような経験のある人だといい。

 逆境にもめげずに立ち向かえるマインドは、あまり良い学歴、良い育ちをしていない方が強いような気がします。エリート街道を歩いてきた人は泥臭い仕事を経験していないので、案外、折れやすいのではないでしょうか。僕自身がそうで、新卒で大企業に入って7年近く営業の仕事を経験しましたが、あまり努力しなくても商品が売れる状態だったので、いざ自分が起業した際、泥臭い営業ができませんでした。

 スニーカーを作っていた時、販売提携店を増やすため、全国の靴屋に1日100軒電話営業したんですね。それがつらくて、つらくて……。電話を100軒かけてやっと1軒扱ってくれるかどうか、ほとんど無下に電話を切られ続けるんですよ。また原宿や渋谷にある靴屋に直接売り込みに行った時も、学生アルバイトから虫けらのような扱いを受けて悔しかったですね。それまでは大企業の名刺を見せれば、良い部屋に通されてきれいな営業ができたので、その扱われ方の違いに気持ちが折れたのです」

夢は「日本の漫画をもっと世界で販売すること」

 安藤さんの究極の望みは、「楽しく生きられる」こと。

 「起業を考えたのも、仕事をする平日の朝から晩まで、そして1週間がずっと面白い生活を目指したから。独立以前に、転職したり、社内で部署を変えてもらったりしたけれど、そこまで面白い毎日にはならなかった。だったら自分で会社を作れば、日々を面白く、少なくとも僕自身が楽しく過ごせる会社を作れるのではないかと思いました」

 現在、その生活は実現しつつある。「休日も楽しいですが、一方で休日ですら『はやく月曜日になって、会社で◯◯を始めたいな』と思っています。平日も週末もどちらも楽しい、という感じで過ごせています」