社長の役割

計画、準備に「完全」はありません。計画や準備にコストがかさんでそもそも何もできないのならまさに計画倒れです。「危機に際しては、リーダーは行動するために考えるのではなく、考えるために行動する必要がある」とはミシガン大学のカール・ワイク教授の言葉です。彼は「詳細な計画を作ると、すべてわかったと勘違いしやすい」とも指摘しています。もちろん入念な計画、準備は必要ですが、過剰に計画に期待したり、それですべてできた気になってはいけないのです。不測の事態は起こるものなのです。

 実際、企業の活動においては「想定外」が起こることは日常茶飯事です。その原因は今回のような自然災害だけでなく、競争相手の新技術かもしれませんし、取引先の約束違反かもしれません。あるいは為替であったり、認可であったり、ブームの急速な終焉かもしれません。「想定外」なのですから、準備ができていない。どのような対策があるのか、何が一番良いのか、そんなことがよくわからない局面において、トップは対策を決断しなくてはならないのです。


時々、「トップの決断とは、100対0なんていうことはなく、51対49で決めることだ」などとおっしゃる方がいますが、これは相当楽をしてきた方でしょう。「51対49」で決めることなんて簡単です。もう答えは出ているわけですから。実際には、そもそも何対何などと数値化できない、あるいは短期的には60対40だけれども、将来的にはそれが逆になりそうだといった「答えのない」あるいは「答えがいくつもある」問題に対して決断をしなくてはならないのです。

 当然ですが、答えがないのですから間違えるかもしれない。つまり、自分の答え如何によって、多くの損失が出たり、被害をこうむる人たちが出てきたりするかもしれないのです。そうなれば、当然責められるし、罪人扱いされるでしょう。せっかくこれまで成功し、順調に昇進を遂げて社長に上り詰めたのに、こんなところでミソをつけるのは嫌だ、もっと情報を集めて確実に決めたい、ほかの会社はどうしている……。こんなことを言うトップを持った組織は、多くの場合地獄行きです。

 難しい決断を、胃をきりきりさせて下さなくてはならないからこそトップの給料は高いのであり、だからトップなのです。それこそが、「運転手と副社長の差よりも大きい」といわれる社長と副社長の差であり、分析をして施策を上申すればよい参謀との違いです。
不確実性への対応

 不確実である、つまりよくわからない場合、私たちは情報を集めることで理解を深め、不確実性を下げる、つまり、より正確な予測、判断をできるようにしたいと思います。これは、戦略立案、実行の時もそうですし、身近な例で言えばマンションの購入などでもそうでしょう。相場や取引情報、あるいは様々な物件のパンフレットを集めたり、ネットで評判を聞いたりなど、何とか「一番良い物件」を見つけようと考えます。戦略においても顧客のデータを集め、アンケートを取り、あるいは競合の情報を集めて、競合に負けないような商品、サービスを提供するための戦略を必死で練ります。

 今一つ情報が集まらないと、「ほかの人」「ほかの会社」は何をしているのかを頼りにします。行列ができているラーメン屋に並んでみるのと同じで、競合がこんなことをしているのなら、何か良いことがあるに違いない、こちらも負けてはいけないということで、お互いの模倣が始まり、大ブームが起きたり、○○合戦が始まったりします(○○にはディスカウントや、ポイントという言葉が入ります)。

 皮肉なことに、多くの組織において、不確実性を下げるために外に情報を求めるのですが、本当の不確実性は内にあることがほとんどです。「一つになろう」などと言っておいて、お互いに何を考えているのか全くわかっていない政党間のごたごたは良い例でしょう。「当社は人を大切にする」などと言って、自社の社員のひとりひとりがどのような能力を持ち、どのような気持ちで働いているかわかっている会社は実は大変少ないのです。

 先述の東海村の臨界事故では、トップが計画にないと頭を抱える一方、現場は「決死隊」を編成し、命がけで作業をして臨界反応を収束させたのです。「会社の役員が部下に聞けば済む話を、わざわざコンサルタントにお金を払って聞いている」というデービット・アトキンソンさんの観察(日経新聞5月10日夕刊)と同じような話は随分あると思います。放射性物質の拡散予測が事故発生翌日の3月12日に首相官邸に届いていたにもかかわらず、だれも知らなかったというのもその一例です。

 大企業ほど豊富にあるはずの経験や資源が、社内で十分共有化されることなく埋もれています。また、のちにも触れますが、せっかくの情報を「これは〇〇部門の情報だ」「こんなこと言って責任を取らされたら困る」といって出さないケースもあります。各部門が持つ情報を持ち寄れば、より良い選択肢が見つけられたはずなのに、単に縄張り争いのために情報を隠したり、逆に悪い情報は見ないようにしようなどとすれば、事実を見据えた的確な判断ができるはずはありません。想定外の状況に直面して、まずしなくてはならないこと、いや想定外の状況は不可避だから、普段から行っておかなくてはならないことは、実は「自らをよく知る」ことなのではないでしょうか。それが、国なのか、政府なのか、私企業なのかを問わず、自分の組織の大目標は何で、どのような資源があって、どのような人材がいるか、そうしたことをトップが知らずに、決断などできないはずです。

 しかし、実際は、そうしたうちのことは「わかったつもり」になって、外にばかり情報を求め、顧客がこういった、競合がこうしたという切れ切れの情報に振り回されているように思われます。わからないことを決めるためには、わかっていることの中で基準を決めて進むしかありません。他社だって、外部環境はわからないわけです。であるとすれば、自分のことをより知って決断できたかどうかが、最終的には差になるのではないでしょうか。

多くの組織で、本当の不確実な要素は、組織の外ではなく、内にある。
直観と決断

 「直観」も「勘」も経営の世界で表舞台に出ることは多くありません。科学や分析を重んじる立場からすれば、胡散臭いこと、根拠のないことのように感じられるからでしょう。しかし、不確実な局面で意思決定をしなくてはならないトップは、もう一度自分の「直観」を見直す必要があります。なぜなら、直観とは、これまでの経験が無意識の中でつながり、現場から得られるかぎられた情報から意味を嗅ぎ取る触覚でもあるからです。しかし、そこには明確なロジックはありません。誰かに問われれば「勘だ」と答えるしかないものです。

 一方で、情報量と意思決定の質は正比例しないことも最近の研究が明らかにしています。「オーバーロード(overload)」という言葉があるように、ある時点までは正比例するのですが、情報が「ありすぎる」と人はその情報を消化できず、かえって意思決定の質が下がってしまうのです。「簡単な問題は情報分析をもとに合理的に、複雑な問題は直観に従え」というのが研究者の指摘です。専門家が20種類の紅茶のランク付けをしたとします。全くの素人が、直観でランク付けをするとかなり専門家と近い結果になり、「その理由を書くことにする」と、その結果はとんでもないものになるのだそうです。

 米ゼネラル・エレクトリック(GE)の伝説のCEO、ジャック・ウェルチの最初の著作は日本語では『わが経営』と訳されていますが、原文は『Straight from the gut』(直訳すれば「直観そのまま」)でした。トップとは、正しいのか間違っているのかわからない状況で決断をしなくてはならないのです。

 そのためには、外にばかり情報を求め右往左往するのではなく、普段から自分の組織のことを知ることはもちろん、自分の胸に手を当ててその直観を信じる勇気を持たねばなりません。直観を信じたから、必ず成功するとは限りません。しかし、「ほかの人が何を言うか」「嫌われたくない」「どこかにもっといい情報があるのではないか」と考えている限り、幸運の女神がほほ笑むこともないでしょう。