道案内も日本と欧州では異なる

ロジックは、社会が違えば異なる。生活パターンが違うと、通じるロジックが違う。
ミラノに住むイタリア人の描いた地図。スイス国境近くの別荘までの道を教えてくれた。目的地までまっすぐの1本の道。NOと書かれているのは、「高速道路のここで出るな!」という指示だ。彼は、出口があるたびに「ここは違う」と、クルマを運転しながら独り言を言っているのだろう。

描いた本人はコンピューターエンジニアではない。80代の経営者だ。この種の地図を描く人を日本ではあまり見ない。およそ日本で教育を受けた人は、紙の上を北にし、鳥瞰的な地図を収まりよく描く。
ところが、ヨーロッパでは、1枚の紙で出発点から目的地まで描き切れない人が珍しくない。住所が、町名ではなく、通り名で成立しているのはご存じだろう。
そこで、目的地までの経路を、通り名の連続で考える。だからか、そのロジックに従うと道が延々と続き、目的地が紙を越えてしまう。米国の文化人類学者であるエドワード・T・ホール氏は、その著書において、「パリの子供たちは道の名前を銅像や記念碑があるところで変わると覚える」と書いている。日本では考えられない道の覚え方だ。
そのホール氏は、「違った言語には違った感覚の世界がある」とも書いている。違った感覚とは、人と人が面と向かって話す時に不快に思わない距離感も指す。30cmを親密性の象徴として喜ぶ人と、同じ距離を煩く思う人がいる。個人差もあるが、およそ国や民族によって、その感じ方の傾向がある。アングロサクソン系よりラテン系のほうが距離を縮めたがる、とか。そうすると、身を寄せてきたラテン系に、アングロサクソン系はじりじりと後ずさりする。

外市場とビジネスするのは、このように違った感覚の世界と付き合うことにほかならない。それにどのように対処するか? これは大きな課題だ。
そこで、「ローカリゼーション」という手法が出てくる。これは、対象市場の法規制に加えて、言葉など文化的要求に適合させる作業を指す。例えば、マニュアルを現地語にしたり、タブーとなっている色を変更したり。椅子の高さのように、サイズをユーザーの体格に合わせたりすることも含まれる。
もっともこれらの点に気づくのは、決して難しくない。意外と見逃されているのは、先ほど地図の描き方で取り上げたように、地域や文化が違うとロジックが変わってくるため、ユーザーの思考プロセスも異なってくるという点だ。商品の企画・開発・販売に当たっては、見た目だけ現地に合わせるのでは不十分で、思考プロセスそのものを取り入れて現地にフィットさせることが、その地域の消費者に受け入れられるために重要になってくる。

この「思考プロセスを現地にフィットさせる」という作業に深く関わってくるのが、実はデザインなのである。いったい、どういうことなのか。身近な例で考え方を説明しよう。
若いカップルがショーウィンドウを覗いている。女性が「あっ、このクリスタルグラス、いいじゃない。この色、カワイイ!」と声を上げる。それを聞いた男性が「うん、いいな。カタチもいけるし」と賛同する。
ところが、話が進むうちに、2人の間に齟齬が生じてくる。
「花柄のテーブルクロスに合いそうね」「えっ、これが花柄のテーブルに合うって? そんな冗談じゃない。リビングの低いガラステーブルを前にソファーで寝そべりながらグラスを傾ける。これに決まっているだろ」
「私の好きなカクテルにピッタリじゃない」「これは絶対、ハイボールだよ。デザイン、分かってんの?」「なによ! すぐデザインがどうだとかエラソーに!!」
こんな感じで揉めている2人を見たことがあるだろう。あるいはご自身で経験したことがあるかもしれない。もともとは色やカタチを肯定していたのに、モノが使われるシーンに合うかどうかという話になると、意見の食い違いが目立ってくる。

そう、デザインとはカタチや色だけではない。モノのデザインとは、モノを取り囲む状況における意味の表現なのだ。モノを使う状況設定ロジックが合意されていないと、デザインの良し悪しは判定しづらい。
デザインはよく「クリエイティブな仕事」と言われ、「ゼロから何か新たなものを産み出す」と理解されやすい。デザイナー自身も「産む」という感覚を持ちながら、作業を続ける。最近は際立った性能差をつけることが難しくなってきていることもあり、デザインにアート的な要素が以前にも増して求められていることもある。

しかし、アートに傾注した“尖がった”デザインは、一部の好事家から高い評価を受けたとしても、広く万人受けすることはほとんどない。それよりも、あるコンテクスト(状況や背景)に沿って良い脚本が作れるかどうか。モノづくりにおけるデザインにとっては、こちらのほうが大切なポイントとなる。
コンテクストと脚本のミスマッチを示す例として、日本の陶器は分かりやすいだろう。

日本には、とても良い陶器がある。繊細で小ぶりな器が食卓に映える。日本らしさが感じられる瞬間だ。懐石料理の楽しみは、こうした器に小さく盛りつけられた料理を、目で愛でることでもある。
外国人もこうしたパフォーマンスには大喜びする。そして、「この器を、ぜひ持って帰りたい」と言い出す。
来日したフランス人が、日本の器を持ち帰ったとしよう。日本懐かしさに、酒の肴をちょっと入れることはあるかもしれない。しかし、普段の家庭料理で器として利用されることはほとんどないだろう。
どんなに個々の器のデザインが美しく心惹かれる味があったとしても、サイズとテイストの面からフランスの家庭料理の文脈にはまるっきり合わないためだ。よって、フランスで和食器が数多く売れることはない。
もちろん、フランスの伝統的食器ならば良い、と簡単に結論づけるつもりはない。コンテクストにおける良い脚本とは必ずしも1種類とは限らないし、コンテクストが変化すればよい脚本のあり方も変わってくるからだ。従って、フランスに向けた和食器デザインが入る余地はある。

このようにデザインを考えると、新しいアイデアを「産む」という感覚ではなくて、現地にフィットするように仕立てたものを「連れてくる」という感覚のほうが似合う。
残念なことだが、この脚本のミスマッチが世の中にはゴロゴロと転がっている。こうした背景から、「地域ごと・製品群ごとにフィットする期待度をマッピングしたらどうだろう」というアイデアが出てきてもおかしくない。フランスの家庭で期待される食器と日本の家庭で期待される食器の違いに簡単に気づくマップだ。
異なる文化で流通するロジックの可視化と言ってもいい。これがグローバル展開を前提とした商品開発プロセスへ導入される場合、基本設計に必要なコンテクスト理解とマーケット投入という2つのポイントで参考になるだろう。マーケットテストや販売の結果がマップの精度を高め、次回の基本設計に役立つデータベースになる。こう考えると、ローカリゼーションの視点がいかに有効かが実感できるはずだ