もちろん思い通りの結果にはならないことだってあるだろう。でも、SOCの高い人は、そこで失敗しても、「その失敗にも意味がある」と考え、いつまでもクヨクヨしたりはしない。
たとえ失敗しても、「今回も踏ん張れたんだから、次だって大丈夫だ」と再び踏ん張る勇気を持つことができる。そして、何度も踏ん張り続けることで、さらに生きる力を高めていくのだ。

まるで雨上がりに太陽の光がのぞいた時に草木が成長するように、不安やプレッシャーという雨の中を踏ん張って歩き抜くことによって、人間的に成長する。そうやって、人生は決して自分の思い通りにはならないけれど、自分で納得するものにはできることを学んでいくのである。

他人の力を借りても、それに依存はしない

SOCの高い人は、決して鉄人ではない。だからこそ、プレッシャーに負けそうになった時、自分1人で頑張るのではなく、他人の力をうまく使う。

不安とプレッシャーという、1人では耐え難いストレスの雨が降ってきた時、その雨に濡れないために、雨の中を前に進むために、他人から傘を借りるのだ。
ただし、彼らは決して他人の傘(=力)を借りても、相手におんぶしてもらったり、抱っこしてもらうことはない。

「傘を貸してください」と傘を借りたら、必ず自分の手で持ち、自分の足で雨の中を歩く。もし、自分1人では重たくて傘を支えられなければ、「一緒に手を添えてもらえませんか」とお願いする。自分1人で雨道を歩く勇気が持てなければ、「すみませんが、背中を押してもらえませんか」と頼んだりする。

1人きりでは耐えられないほどのプレッシャーという、ストレスの豪雨が降った時には、1人きりで頑張るのではなく、「すみませんが、力を貸していただけませんか?」と、前に進むためのサポートを求めればいい。

それは決して、「負けてくれませんか?」とか、「答案用紙を見せてくれませんか?」とか、「キミの手柄をくれませんか?」などと、結果を求めるものではない。雨の中、伴走してくれる人を探すのだ。

不安の反対は安心ではない。

どんなに安心を模索したところで、問題は1つも解決しない。不安な時こそ、プレッシャーを感じている時ほど、踏ん張ることでしか不安は軽減されない。不安は、前に踏み出すことでしか解消できない感情なのだ。

かつてはSOCが高かった日本人が失ったもの

アントノフスキーは1980年代に、SOCに関する著書の中で、「アジア人、とりわけ日本人のSOCは高いだろう」と記している。なぜ、彼はそう考えたのだろうか?

アントノフスキーはその理由の1つに、家族関係を挙げている。日本人の母と子の間に強い愛のきずながあり、地域の結びつきが強い。そして、何らかの欲求の充足を延期する行動パターン、すなわち「我慢する」という経験を美徳とする文化もSOCのレベルを上げているとしている。

また、終戦直後の日本にスポットを当て、日本人が困難から立ち上がる姿を描いてピュリツァー賞を受賞した米国の歴史学者ジョン・ダワーの著書『敗北を抱きしめて』(岩波書店)でも、戦後の日本人たちのイキイキとした生きる力を存分に感じ取ることができる。虚脱と絶望とに襲われながらも、嘆き続けることをやめ、明確な目標に向かって目を上げ、1人ひとりが1歩を踏み出していた。

かつての日本人のSOCは高かった。そう確信できる人々の姿が描かれているのである。

当時の日本人の生きる力の強さは、世界のストレス研究者たちだけでなく、日本人をはたから見てきた外国人にとっても謎だった。彼らはどうやって敗戦という困難を乗り越え、あそこまでイキイキとしていられるのか、と。

家族関係、地域のきずな、我慢する経験……。いずれも今の日本から失われつつある。そんな気がしてならない。

どんなに安定した職業に就こうとも、どんなに恵まれた生活環境に身を置こうとも、不安という感情がなくなることはない。予想もしなかったような、危機に遭遇することだってあるだろう。

そんな時、「傘を貸してもらえませんか?」と頼める他者がいたら、どんなに心強いことか。プレッシャーの豪雨にびしょ濡れになっている人に、「この傘を使っていいから、自分の足で歩いてごらんよ。1人で心細ければ一緒に歩くから、今は踏ん張れ!」と声をかけてあげたいとは思わないか。

相手を非難したり中傷したりすることよりも、そんな伴走者になることの方が、大切なんじゃないだろうか。