サムライインキュベート起業

リーンスタートアップ」という言葉を聞いたことはあるだろうか? これは、米国の起業家であるEric Ries氏が提唱したもので、アジャイル開発やフリーソフトオープンソースソフトなどを組み合わせ、大規模な資金調達などを行わず、すばやくサービスを立ち上げ、ユーザーのニーズにあわせてサービスを柔軟に変更していくというビジネス手法だ。

 日本でも、少人数、少額の資本ですばやくサービスを立ち上げる起業家が増えており、同時に彼らを支援するインキュベーターも増えつつある。

 サムライインキュベートはそんなインキュベーターの1社だ。スタートアップ企業や起業志向のある学生や社会人に対して最初の運営資金となる数百万円程度の出資を行うファンドを運営するほか、起業やその支援者を対象とするイベントなどを行っている。

サムライインキュベート代表取締役CEOの榊原健太郎氏。イベントはマイクではなく、拡声器を使って進められた
 同社は4月、イベント「第3回Samurai Venture Summit〜若き野心、世界へseason2〜(SVS)」を開催した。会場となった東京代官山のビルでは、3つのフロアで、起業家や投資家らによるセッションやデモ、展示などが繰り広げられた。ここではその中からMOVIDA JAPAN代表取締役などを務める孫泰蔵氏の基調講演の様子を紹介する。

 前回のSVSでも基調講演を行ったという孫氏。前回の講演を振り返る形で、まず起業家の姿勢について「楽観的であるべき」と語る。さまざまなプレッシャーと戦う起業家が、ネガティブなことを表に出さず、楽観的になるのは難しい。そこで孫氏は「失うものはない、どうせやるなら楽しくやろう、と考える。ここまでやれば、たとえうまくいかなくてもそれまで得られた経験や出会い、ノウハウにも価値がある。そう思えばビジネスで攻められるはず」(孫氏)

孫泰蔵
 また、世界を狙う起業家に必要な心構えとして、英語でサービスを提供することの重要性を説く。「まず日本で成功してから、海外へ」と語る起業家はいるが、日本でまだ成功していない時点でこういったことを語るのではなく、サービスも英語版から出す、もしくは日本語版と英語版を同時に提供していくべきだという。

 さらに、「Think Big」「Different」「Convincing」「Simple」「Logical」「5year-lasting-service」といったキーワードで、世界で勝負するために持つべき視点を説明する。

 たとえ現時点で実現していなくとも、「世界で成功する、世界を変える」という意識を持ち続け(Think Big)、ほかのプレーヤーと違うことをする(Different)。また、なぜ自分たちのサービスがおもしろいのか、インパクトがあるのかということをユーザーや投資家らに説得できる必要がある(Convincing)。

 さらに言語や環境の壁を越えて「おもしろい」「便利だ」と思えるシンプルなものでないといけない(Simple)し、論理的に理解できるものでないといけない(Logical)。加えて、サービスを提供する現在ではなく、5年先を見据えた設計が必要になる(5year-lasting-service)。「Gmailは2005年にサービスインした。当時、ウェブメーラの容量はせいぜい数十から数百Mバイト。そんな中で2Gバイトの容量を用意したことでユーザーは驚いた。こういったことはなかなかできない」(孫氏)

 イベントには、約300名の起業家や起業志向者が集まった。またサムライインキュベートでは第4回SVSを9月17日に開催するとしている。開催場所などは未定。申し込みについては、同社サイトを参照のこと。

漫画全刊ドットコム

 「漫画本を1冊ずつ買うのは面倒くさい! 全巻まとめて家に届けて欲しい」そんな願いを叶える通販サイト、「漫画全巻ドットコム」。2006年夏にサービスを開始してから、多くの漫画好きに支えられ、年商10億円の会社に成長した。

 運営する株式会社TORICO代表の安藤拓郎さんは、1973年、宮城県仙台市で生まれた。大学時代の就職活動では、JR、東北電力、日本たばこなど、かつて国有企業だった会社ばかりを回った。「安定のある公務員的な生活が送りたく、起業なんてまったく考えていませんでした。しかしそのような大企業の入社試験で落とされ、外資系企業に入ったことが運命の分かれ道でしたね(笑)」

 大学卒業後、日本オラクルに入社し、国内営業を担当した。「仕事は勉強になったのですが、『目指したものと何か違うな』と感じて、早期退職プログラムを使って退職しました」。その後1年間ニューヨークへ遊学し、帰国後は「海外と直結できる、海外営業がしたい」と三井物産に転職した。中国、香港、台湾へ携帯電話のバックライトに使うLEDを売り込む営業担当となり、工場を1軒ずつ訪ねて歩く日々が始まった。

 そんななか、中国でスニーカー工場との出会いがあった。「技術は確かな工場で、どれくらいで生産できるのかを聞いたら『30万円くらいで、100足から作れる』と。スニーカーを作って、日本で販売したら面白そうだと思いました」。そして会社に勤務したまま、まずは趣味としてスニーカーを売ってみることにした。

ボーナスを元手にスニーカーを生産し、自分で作った通販サイトで、週末に営業を始めてみると、2ヵ月間で100足近くが売れた。1年間続けた後、「週末だけ営業して結構売れたので、『独立して専業でやればもっと売れるのではないか? 』と思いました」

 しかし、起業するほどの資金はなかったため、ベンチャーキャピタルに事業計画書を持ち込んだ。はじめて訪れたベンチャーキャピタルで、思わぬ高評価を得た。「お金を出すので、勤めている会社は辞めて独立して欲しい」とまで言われた。数百万円の資金調達に成功すると同時に、急に独立することが決まった。

 2005年7月、30歳の時、高校時代からの友人と一緒に、資本金1,000万円で株式会社TORICOを設立。社名は「外国語っぽい響きを持つ日本語」を探し、「日本のスニーカーを世界中で売り、世界をトリコにしたい」との思いからつけた。

 オフィスは、家賃3万5千円の古いアパートを借りた。それまでの安藤さんは、エリート街道をまっしぐらに走ってきた。「東京の一等地にあるオフィスで働いていたので、いきなり古いアパートの和室4畳半でスニーカーを売り始めた時のギャップは大きかったですね」

それからがたいへんだった。順調な滑り出しのはずが、思わぬ誤算があった。「調子に乗って会社を辞めた途端に、売れなくなって……。大人2人が働いたのに、ひと月に2〜3足しか売れず、1年間で50万円しか売れませんでした。後から気付いたのですが、最初の100足がすぐに売れたのはスニーカーの強烈なマニアが購入したからで、その層が買わなくなったらパタリと売れなったんです」

 しかし、安藤さんたちにそれほど危機感はなかった。1足売れたら嬉しくて飲みに行っていた。「まだ資本金の1,000万円があるから、数ヵ月間は何とかなるだろう」と焦りはなく、デジタルハリウッド大学院に通い、HTMLやフラッシュなどWeb制作の技術を勉強した。

 あまりに売れない日常に飽きて、別の商売を始めることにした。取扱う商品へのこだわりはなく、「スニーカーの代わりに売る商品はないかな?」と、共同経営者の友人とアイデアを出し合ったのは「ビジネスマンが休日に1日中、家に引きこもれるサービス」。もともと安藤さんは休日、家に引き篭もる生活が好きだった。

 「会社に勤めていた頃、土曜は外出するけど、日曜は朝から買い物に行って、漫画や雑誌、お酒とジュース、昼食の弁当、夕食のインスタント焼きそば、お菓子を買って、DVDを借りて帰宅、その後は1日中家にこもっていました。スニーカーを副業で売っていた頃も、土曜は営業して、日曜は同じように引きこもっていたので。『これらのセットを家に届けてくれるサービスがあればいいなあ』と。あまりにも暇だったので、カッコつけずに、身の丈にあった漫画でも売ってみようかという事になりました」

 世の中に溢れているコミック、そこは思わぬニッチ市場であり、安藤さんたちは、本を抱えて右へ左へと忙しい生活を送ることになる。その快進撃をお届けしよう。
漫画の通販サイトを始めることにしたものの、コミックの在庫を持てるような資金はない。そこで在庫を持つビジネスはあきらめ、「注文が入ったら、近所の古本屋に買いに行こう」と気軽に考えていた。最初は、50アイテムのコミックを取り揃え、すべての書名で検索連動広告を打った。

 まさかこれほど……というほど売れた。「まんが全巻ドットコム」と名付けた通販サイトをオープンした当日から注文が入り、最初の1ヵ月で50万円を売り上げた。「たった1ヵ月で、それまでのビジネスの1年分の売上を稼いでしまいました。スニーカー販売を辞めることにこだわりはなかったので、『もう漫画を売る会社にしよう』と、スパッと気持ちを切り替えました」

 近所では本が見つからなければ、バイクを2人で走らせ古本屋を何軒も回り、全国に電話をかけてかき集める日々。忙しく身体は疲労したけれど、売れることがとにかく楽しかった。「大企業で何億円と売っていた時より、漫画が1セット売れることの方がすごく嬉しかった。『自分たちが売ったんだ』という達成感がありました」

その後はひたすら注文に応える毎日、順調に右肩上がりで売上を伸ばした。漫画好きの人は、1シリーズ読み終わる頃、すぐに次の漫画を取り揃える傾向がある。「家に漫画全巻が一気に届く快感を味わってもらうと、また次の購入につながるみたいです。2〜3ヵ月に1回購入されるお客様は多いですね」

 次第に、テレビドラマ化された人気コミックを古本屋で調達することが難しくなった。そしてサイト開設から約1年後、発送する商品を、流通量の安定しない古本から一括で取り揃えやすい新品に切り替えた。新品に切り替えたことで、多くの在庫を持つことになった。

 売上急上昇のきっかけになったのは、ある芸能人だった。ある日、サーバが急にダウンし、丸1日Webサイトが開かない状態になった。原因を調べると、タレント・中川翔子さんのブログに同サイトが掲載され、アクセス数が急増していた。

 「中川翔子さんがうちのお客様だったらしく、ブログでうちのサイトを褒めてくれたのです。中川翔子さんが『漫画全巻ドットコム』と書かれていたので、その日のうちに名前を漢字に変えちゃいました」。安藤さんの持つ柔軟性が功を奏し、この日を転機に、売上は急上昇した。

売上が増えるとともに、在庫が激増して倉庫スペースが足りなくなり、発送業務が煩雑化した。

 まず、八王子の小学校廃校跡の図書館と教室2部屋を安価で借り、引っ越した。図書館を倉庫として使い、その本棚にマンガを並べた。図書館が3階だったため、毎日100箱くらい届くダンボール箱を、従業員7名で、エレベーターもクーラーもない階段で運んだ。皆が汗だくになり、ゲッソリ痩せていった。「図書館に約3万冊の在庫があったのですが、売上が増えて、廊下にダンボールが山積みになるほどでした」


 資金的な余裕ができた2007年10月、物流業務をアウトソーシングすることにした。従業員の力仕事だった在庫管理、発送業務を外注することで、新規開拓や制作作業に集中するなど、業務の効率化を図ることができた。

現在のアイテム数は、約2万5,000。「僕も世の中にこれほど漫画の数があるとは思わなかったですね」。顧客の平均は33歳で、一番多い顧客層は20〜30代のビジネスマンと主婦層だ。「開業当初は、9割が男性のお客様だと想像したのですが、実際は男性6:女性4くらい。漫画を買う女性の方が多いことにびっくりしました」。20〜30巻セットの購入が多く、客単価は12,600円くらいだ。

 漫画全巻ドットコムの売上は、1年目4,000万円、2年半後の2009年3月期に5億4,000万円、4年半後の2011年3月期には10億円となり、急成長中だ。従業員は正社員7名、アルバイト3名の合計10名。本社オフィスと提携倉庫にそれぞれ配置されている。

 安藤さんに「売上が増えたら、おしゃれなオフィスに引っ越そう」という感覚はない。今まで事務所と倉庫のキャパシティを広げるため、4〜5回引越しをしているが、オフィスは前述の古いアパート、小学校廃校跡の図書館と教室等、家賃のあまりかからない場所が多い。

 「現在もそうですけど、事務所の家賃にはお金がかかっていないですね。分相応“以下”のオフィスでしか営業したことないというか。社員にとってはもっとシャレた場所が良いかもしれないですが、僕自身、オフィスはどんな所でもいい。日本じゃなくても良いと思っているくらいです。だから弊社を訪問された方の多くはびっくりしていますね」

コミックを販売する通販サイトは、Amazon楽天ブックスなど大手通販サイトに限らず多く存在する。そのなかで、「漫画全巻ドットコム」が後発でありながら急成長できた理由は、「休日は家に引きこもって、漫画を一気読みしたい」というニッチなライフスタイル欲求に焦点を当てたから。既存の「本屋さん」とは違う切り口で事業を始めたからこそ、新しいニッチ市場を見つけることができた。


 サイト開設当時、たとえば漫画本シリーズ30冊を購入する場合、Amazon楽天ブックスなどの大手通販サイトでは一括購入できず、30回クリックして買い物カートに納める必要があった。また人気コミックの場合、書店に最新刊はあるけれど、全巻すべて揃っていない場合がある。同社サービスには「たった1回のクリックで、シリーズ30冊を一括で注文できる」点に優位性があった。

 安藤さんたちは、「コミック、DVD、雑誌、お菓子、ドリンクをセットで届けるサービスを始めよう」とライフスタイルの提案を考えたので、「大手通販サイトや普通の本屋もあるし、後発が勝てるわけないじゃん」とは思わず、躊躇なくサービスを開始できた。蓋を開けてみれば、「全巻揃えて、自宅に届けてくれる」サービスは既存の本屋はない、埋もれたニッチ市場だったわけだ。

ビジネスの仕組みを作っている最中のベンチャー企業には、とても地道で泥臭い仕事が多いことも事実だ。安藤さんは採用面接で、困難なことに耐えるガッツがあるかどうかを見ている。

 「僕たちはベンチャー企業なので、大企業でスマートな仕事をしてきた人より、泥臭い地道な作業でも楽しんでやれる人が合いますね。ベンチャー企業は『どこの馬の骨かも分からない』と無下に扱われることも多いし、気持ちが折れそうになる出来事は日々あります。今後も新しい取引先を探すことも増えていくでしょう。そんな環境の中で一緒にやっていく人材を考えると、“つらい場面で折れない気持ちの強さ”がある人がいいですね。できれば、既にそのような経験のある人だといい。

 逆境にもめげずに立ち向かえるマインドは、あまり良い学歴、良い育ちをしていない方が強いような気がします。エリート街道を歩いてきた人は泥臭い仕事を経験していないので、案外、折れやすいのではないでしょうか。僕自身がそうで、新卒で大企業に入って7年近く営業の仕事を経験しましたが、あまり努力しなくても商品が売れる状態だったので、いざ自分が起業した際、泥臭い営業ができませんでした。

 スニーカーを作っていた時、販売提携店を増やすため、全国の靴屋に1日100軒電話営業したんですね。それがつらくて、つらくて……。電話を100軒かけてやっと1軒扱ってくれるかどうか、ほとんど無下に電話を切られ続けるんですよ。また原宿や渋谷にある靴屋に直接売り込みに行った時も、学生アルバイトから虫けらのような扱いを受けて悔しかったですね。それまでは大企業の名刺を見せれば、良い部屋に通されてきれいな営業ができたので、その扱われ方の違いに気持ちが折れたのです」

夢は「日本の漫画をもっと世界で販売すること」

 安藤さんの究極の望みは、「楽しく生きられる」こと。

 「起業を考えたのも、仕事をする平日の朝から晩まで、そして1週間がずっと面白い生活を目指したから。独立以前に、転職したり、社内で部署を変えてもらったりしたけれど、そこまで面白い毎日にはならなかった。だったら自分で会社を作れば、日々を面白く、少なくとも僕自身が楽しく過ごせる会社を作れるのではないかと思いました」

 現在、その生活は実現しつつある。「休日も楽しいですが、一方で休日ですら『はやく月曜日になって、会社で◯◯を始めたいな』と思っています。平日も週末もどちらも楽しい、という感じで過ごせています」

社長の役割

計画、準備に「完全」はありません。計画や準備にコストがかさんでそもそも何もできないのならまさに計画倒れです。「危機に際しては、リーダーは行動するために考えるのではなく、考えるために行動する必要がある」とはミシガン大学のカール・ワイク教授の言葉です。彼は「詳細な計画を作ると、すべてわかったと勘違いしやすい」とも指摘しています。もちろん入念な計画、準備は必要ですが、過剰に計画に期待したり、それですべてできた気になってはいけないのです。不測の事態は起こるものなのです。

 実際、企業の活動においては「想定外」が起こることは日常茶飯事です。その原因は今回のような自然災害だけでなく、競争相手の新技術かもしれませんし、取引先の約束違反かもしれません。あるいは為替であったり、認可であったり、ブームの急速な終焉かもしれません。「想定外」なのですから、準備ができていない。どのような対策があるのか、何が一番良いのか、そんなことがよくわからない局面において、トップは対策を決断しなくてはならないのです。


時々、「トップの決断とは、100対0なんていうことはなく、51対49で決めることだ」などとおっしゃる方がいますが、これは相当楽をしてきた方でしょう。「51対49」で決めることなんて簡単です。もう答えは出ているわけですから。実際には、そもそも何対何などと数値化できない、あるいは短期的には60対40だけれども、将来的にはそれが逆になりそうだといった「答えのない」あるいは「答えがいくつもある」問題に対して決断をしなくてはならないのです。

 当然ですが、答えがないのですから間違えるかもしれない。つまり、自分の答え如何によって、多くの損失が出たり、被害をこうむる人たちが出てきたりするかもしれないのです。そうなれば、当然責められるし、罪人扱いされるでしょう。せっかくこれまで成功し、順調に昇進を遂げて社長に上り詰めたのに、こんなところでミソをつけるのは嫌だ、もっと情報を集めて確実に決めたい、ほかの会社はどうしている……。こんなことを言うトップを持った組織は、多くの場合地獄行きです。

 難しい決断を、胃をきりきりさせて下さなくてはならないからこそトップの給料は高いのであり、だからトップなのです。それこそが、「運転手と副社長の差よりも大きい」といわれる社長と副社長の差であり、分析をして施策を上申すればよい参謀との違いです。
不確実性への対応

 不確実である、つまりよくわからない場合、私たちは情報を集めることで理解を深め、不確実性を下げる、つまり、より正確な予測、判断をできるようにしたいと思います。これは、戦略立案、実行の時もそうですし、身近な例で言えばマンションの購入などでもそうでしょう。相場や取引情報、あるいは様々な物件のパンフレットを集めたり、ネットで評判を聞いたりなど、何とか「一番良い物件」を見つけようと考えます。戦略においても顧客のデータを集め、アンケートを取り、あるいは競合の情報を集めて、競合に負けないような商品、サービスを提供するための戦略を必死で練ります。

 今一つ情報が集まらないと、「ほかの人」「ほかの会社」は何をしているのかを頼りにします。行列ができているラーメン屋に並んでみるのと同じで、競合がこんなことをしているのなら、何か良いことがあるに違いない、こちらも負けてはいけないということで、お互いの模倣が始まり、大ブームが起きたり、○○合戦が始まったりします(○○にはディスカウントや、ポイントという言葉が入ります)。

 皮肉なことに、多くの組織において、不確実性を下げるために外に情報を求めるのですが、本当の不確実性は内にあることがほとんどです。「一つになろう」などと言っておいて、お互いに何を考えているのか全くわかっていない政党間のごたごたは良い例でしょう。「当社は人を大切にする」などと言って、自社の社員のひとりひとりがどのような能力を持ち、どのような気持ちで働いているかわかっている会社は実は大変少ないのです。

 先述の東海村の臨界事故では、トップが計画にないと頭を抱える一方、現場は「決死隊」を編成し、命がけで作業をして臨界反応を収束させたのです。「会社の役員が部下に聞けば済む話を、わざわざコンサルタントにお金を払って聞いている」というデービット・アトキンソンさんの観察(日経新聞5月10日夕刊)と同じような話は随分あると思います。放射性物質の拡散予測が事故発生翌日の3月12日に首相官邸に届いていたにもかかわらず、だれも知らなかったというのもその一例です。

 大企業ほど豊富にあるはずの経験や資源が、社内で十分共有化されることなく埋もれています。また、のちにも触れますが、せっかくの情報を「これは〇〇部門の情報だ」「こんなこと言って責任を取らされたら困る」といって出さないケースもあります。各部門が持つ情報を持ち寄れば、より良い選択肢が見つけられたはずなのに、単に縄張り争いのために情報を隠したり、逆に悪い情報は見ないようにしようなどとすれば、事実を見据えた的確な判断ができるはずはありません。想定外の状況に直面して、まずしなくてはならないこと、いや想定外の状況は不可避だから、普段から行っておかなくてはならないことは、実は「自らをよく知る」ことなのではないでしょうか。それが、国なのか、政府なのか、私企業なのかを問わず、自分の組織の大目標は何で、どのような資源があって、どのような人材がいるか、そうしたことをトップが知らずに、決断などできないはずです。

 しかし、実際は、そうしたうちのことは「わかったつもり」になって、外にばかり情報を求め、顧客がこういった、競合がこうしたという切れ切れの情報に振り回されているように思われます。わからないことを決めるためには、わかっていることの中で基準を決めて進むしかありません。他社だって、外部環境はわからないわけです。であるとすれば、自分のことをより知って決断できたかどうかが、最終的には差になるのではないでしょうか。

多くの組織で、本当の不確実な要素は、組織の外ではなく、内にある。
直観と決断

 「直観」も「勘」も経営の世界で表舞台に出ることは多くありません。科学や分析を重んじる立場からすれば、胡散臭いこと、根拠のないことのように感じられるからでしょう。しかし、不確実な局面で意思決定をしなくてはならないトップは、もう一度自分の「直観」を見直す必要があります。なぜなら、直観とは、これまでの経験が無意識の中でつながり、現場から得られるかぎられた情報から意味を嗅ぎ取る触覚でもあるからです。しかし、そこには明確なロジックはありません。誰かに問われれば「勘だ」と答えるしかないものです。

 一方で、情報量と意思決定の質は正比例しないことも最近の研究が明らかにしています。「オーバーロード(overload)」という言葉があるように、ある時点までは正比例するのですが、情報が「ありすぎる」と人はその情報を消化できず、かえって意思決定の質が下がってしまうのです。「簡単な問題は情報分析をもとに合理的に、複雑な問題は直観に従え」というのが研究者の指摘です。専門家が20種類の紅茶のランク付けをしたとします。全くの素人が、直観でランク付けをするとかなり専門家と近い結果になり、「その理由を書くことにする」と、その結果はとんでもないものになるのだそうです。

 米ゼネラル・エレクトリック(GE)の伝説のCEO、ジャック・ウェルチの最初の著作は日本語では『わが経営』と訳されていますが、原文は『Straight from the gut』(直訳すれば「直観そのまま」)でした。トップとは、正しいのか間違っているのかわからない状況で決断をしなくてはならないのです。

 そのためには、外にばかり情報を求め右往左往するのではなく、普段から自分の組織のことを知ることはもちろん、自分の胸に手を当ててその直観を信じる勇気を持たねばなりません。直観を信じたから、必ず成功するとは限りません。しかし、「ほかの人が何を言うか」「嫌われたくない」「どこかにもっといい情報があるのではないか」と考えている限り、幸運の女神がほほ笑むこともないでしょう。

社長の決断

「みんなで額を寄せ合い分析をし、いろいろ議論して、出てきた結論を社長が取りまとめて、それを社長の決断と勘違いしている人がよくいる。しかし、そんなものは決断でもなんでもない。社長の決断とは、やってみないとわからない、否、やってみても、ずっと後になってみなければわからないことを、やる前に決めることである。…これは思い込みをするしかない。思い込みができない人は社長にはなれない。…私はこうした決断を過去に何回かしたつもりである。まだ、その道は天国への道か地獄への道かわからない。決断をためらってその場に立ち尽くしている会社は、少なくとも地獄に行くだろうということは知っていた。だから、その時決断したのである」

松井道夫『おやんなさいよでもつまんないよ』)

交流とは

大手都市銀行トップセールスマンを退職して、自分のやりたいビ
ジネスで起業された方がいます。彼は、銀行マン時代に多くのベン
チャー企業家と会ったとのことで、こう語っています。

ベンチャー企業を訪問し、勢いのある社長と生の情報交換をする
うちに、自分にもできる気がした」

人間は、多かれ少なかれ周囲の影響を受けるものですが、周りに起
業家がいて、彼らとなじめば、起業のハードルは、かなり低く感じ
られるようになるものです。それが、起業家・週末起業家と交流す
る、非常に大きなメリットだと言えます。

考えてみれば、私自身、両親の起業を目の当たりにした経験が、今
の自分に影響を与えていると思います。

私の両親は元々、サラリーマンと専業主婦という、最も平凡な夫婦
でしたが、私が高校生の時、母親は居酒屋兼家庭料理屋を開業しま
した。

私が大学生になると、今度は父が脱サラをし、文房具店を開店しま
した。両親それぞれが、別のビジネスで起業したのです。既に物心
がついていましたので、開業準備のプロセスにおける資金調達、仕
入先との交渉といった行動を、かなり近くから観察することができ
ました。

そして何よりも、起業とはどういうことかという雰囲気を、肌で感
じられたのがよかったと思います。

週末起業フォーラムで、さまざまな週末起業家やその予備軍と交流
することも、それと同じ効果をもたらすと思います。

他の会員が見事に週末起業を立ち上げ、成功を収めるのを見れば、
「自分にもできる」気がしてくるはずです。それを感じることがで
きるというのも、フォーラムに入会し、イベントに参加することの
大きなメリットのはずです。

起業の初期投資は少ない方が成功する

起業の初期投資に関して、参入する業種の習熟度が高いほど初期投資額は少なく済みます。反対に、ほとんど知らない業種に参入する場合、投資額は高額になります。事前に想像していたよりも初期投資は少なく済んだと言う人は、大半がその業種で仕事をしていた人です。

 知らない業種に参入したその世界の素人の場合、やはり失敗が多くなります。また、資金を投入する場所が的を得ていないケースが多くなります。そのため、どうしても事前に用意していた以上に、資金を使うことになります。

 初めて起業する人は誰もが、事業を開始すると直ぐに利益が上がるものと思い込んでいます。実際は、7〜8割の人は、事業を始めても利益は上がりません。既存の会社の会社からお客さんを取ったり、新規のお客さんを集めるわけですから、それなりに時間が掛かります。

 開業後にこの勘違いに気付き、起業家は慌ててニーズに合わせたカタチに方向転換を迫られます。この後まで初期投資がもつかどうかが、起業を継続するためのキーポイントです。多くの起業家は、ここまでお金が掛かることを計算に入れていません。

 中には、通常掛かる初期投資よりも相当多く用意して起業する人がいます。初期投資が多いことは、方向転換をしても十分に間に合う額の資金をあるわけです。ただ、資金に余裕がある分、精神的にも余裕があることがアダとなって、逆に失敗するケースも少なくありません。

 どうしても、資金に余裕があると、自分で汗と恥をかくことをしたがりません。そのため、起業家としてスキル向上の志がないため、人とは少しでも違う独自性が求められる起業には成功しません。この辺が、初期投資と起業との相反する難しいところです。

起業を目指せ

仕事とは尊厳。生き甲斐へと通じる。

ずっと「起業家こそが社会を明るくする」と信じてきた。

理由は単純。起業家は新しい商売と雇用を創造できるからだ。

60〜70年代、ホンダやソニーに代表される新興企業の躍進が日本の経済を牽引していた。
が91年のバブル崩壊以降、GDPの成長が止まった日本は、官民が結託して既得権を強化し、新しい企業が生まれない流れを作ってしまった。

世紀末〜21世紀初頭、ビットバレー新興市場上場のネットベンチャーブームで日本は再び覚醒しかけたように見えたが、、、

ライブドア事件でこのアフォ構図はむしろ更に強固になってしまい、いまや日本は若者が起業を目指さない/起業家に憧れない国になった。

これを変えなくてはならない。

後に続く起業家が目標におくような、新しいロールモデルの出現が待ち望まれている。

自らが外圧となって、日本を揺さぶり刺激を与えることの出来る、若く新しいアジアの起業家を、日本は必要としている。

雇用するということには、それだけで原罪がある。雇用するものはそれを自覚し、行動し、責任をとらなければならない。

だからこそ、そのリスクをとる起業家は、
多くの人々に尊厳を提供する起業家は、尊いのだ。